トニセンカミセンのV6グループ内格差がエグい!由来や置き去り事件などエピソード紹介

トニセンとカミセンのグループ内格差を紹介!

2021年にファンに惜しまれ解散したV6は、3人ずつに分かれたトニセンとカミセンのグループ内ユニットがありました。

当時はV6内ユニットでの格差がひどく、一時期「Kis-My-Ft2のグループ内格差が…」と話題でしたがそれに負けないエピソードが多々…

結成当初を思い返しつつ、現在3人で大活躍中のトニセンを応援しつつ、グループ内格差エピソードを掘り下げていきましょう!

そもそも「トニセンとは?」「カミセンとは?」と疑問に思っている方でも大丈夫!

トニセンとはカミセンとは?からご説明いたします!

POINT
  • トニセンカミセンとは?
  • V6のグループ内格差エピソード
  • トニセンカミセンの由来

V6とトニセン・カミセンとの違いは?

まずはトニセン・カミセンを知らないかた向けに紹介を。

トニセンとカミセンのユニット内訳

6人で構成されているV6は3人・3人で分かれたユニットとしても活躍していました。

年上3人(坂本・長野・井ノ原)がトニセンこと“20th Centuryトゥエンティースセンチュリー

年下3人(森田・三宅・岡田)がカミセンこと“Coming Centuryカミングセンチュリー

として、ユニットでの楽曲や番組出演も。

解散後、森田剛さんが退所したことで自然とComing Centuryも解散。

のちに三宅健さんも事務所を離れ、Coming Centuryで残ったのは岡田准一さんのみとなりました。

3人残った20th Centuryは今でも新曲リリースやライブを続け、ファンの前で変わらない歌唱を披露。

音楽番組に出ているのもよく見かけますね。

50代になっても歌い続けていく姿を後輩に見せているそうです。

ご紹介はこんな感じで。

では問題のグループ内格差はどのようなものだったのか?見てみましょう!

結成当初はトニセンには名前がなかった

実はデビュー曲「MUSIC FOR THE PEOPLE」のカップリングはカミセンの曲でした。

そして当時人気だった音楽番組『THE夜もヒッパレ』にもV6で出演しており、カミセンだけで歌うこともしばしば…

その時に「じゃあ、年上3人は何て名前なの?」というくだりになりました。

がしかし、名前は「アダルトチーム」

ちゃんとしたユニット名を与えてもらないまま、カミセンだけがフューチャーされていたことが明らか。

さすがにトニセンも苦笑いするしかない状況のようでした。

CDジャケットにも出たグループ内格差

CDジャケットの撮影はトニセンとカミセン別々だったそう。

デビュー曲「MUSIC FOR THE PEOPLE」のジャケット写真を撮る際には、トニセンが座るように指示をされ

“トニセンが前に座って、後ろにカミセン”という構成だと思ったものの

完成したCDは“カミセンの足元に座って小さく加工されたトニセン”が写っていたのだとか…

そして2ndシングル「MADE IN JAPAN」では、後ろに下げられる始末。

どちらもカップリングはカミセンだったため、裏面はカミセンだけのショットでした。

6人同じように映ったジャケット写真が出たのは3枚目のシングル「BEAT YOUR HEART」から

しかしカミセンが身長が低めなこともあり、カミセンが前列という形は変わりませんでした。

ニオカ
ニオカ

私的には6人全員が平等に並んだジャケット写真になったのは、デビューから1年8か月 7枚目のシングル「WAになっておどろう」からだと認識しています…

カップリングはカミセンだけ!?

デビューしてからは1年で3~4枚ものシングルCDを出していたV6。

当時はCDといえばA面・カップリング・各2曲のカラオケバージョンの4曲が収録されていました。

そしてデビュー当時のCDはと言うと…1曲目はV6、2曲目のカップリングはカミセンの楽曲

これがデビューから2年7枚目シングルまで続きました

2年4か月経った1998年3月の8枚目シングル「Be Yourself!」でついにトニセンが初カップリング!

企業のCMソングを任されることとなり、カップリングの権利を獲得!

これがなかったら、トニセンはいつまでアルバムだけでしか楽曲をだせなかったのでしょうか…

考えると恐ろしい話ですね。

カミセンは車送迎、トニセンは渋谷駅の劇場前集合

通勤にも格差があったトニセンとカミセン…

カミセンは全員寮や自宅へ車が迎えに来ていたにも関わらず、トニセンは違ったそうです。

当時のことを「パンテオン前集合だった」と語るトニセンのメンバー。

電車に乗って“渋谷パンテオン”(劇場)に行き、3人まとめて車で現地まで送られていたのだとか。

現在渋谷ヒカリエになっている場所で、渋谷駅から出てすぐの人が溢れかえっている場所での集合。

人気の差があったと話していますが、ジャニーズJr.歴も長くファンは多かったはずです。

井ノ原快彦さんはデビュー当初19歳で、カミセンと同じように未成年だったのに送迎の扱いまで違うとはグループ格差を感じます。

当時は「追っかけ」という言葉も多く耳にした時代だったため、パンテオン前にファンが待ってるなんてこともあったのではないでしょうか?

トラブルがなかったからこそ続けられたことだと思いますが、トニセンが不憫に思えますね…

内緒でカミセンだけのラジオがスタートし六本木に置き去り

1996年4月のある日、配られたスケジュールに「ラジオ」との記載。

もちろんその日はラジオの仕事だと思い移動車に乗っていた井ノ原快彦さんでしたが、突然マネージャーから「じゃあ、トニセン降りようか」と六本木の路上でトニセンだけが下ろされたそう。

「ラジオじゃないの!?」と動揺する井ノ原快彦さんに対して、坂本昌行さんと長野博さんはすぐに事態を察し「井ノ原、そういうことだよ」と諭されたのだとか。

実はカミセンだけのラジオ開始が水面下で動いていました

月曜から木曜まで毎日放送されるラジオ番組に、なぜかV6としてではなくカミセンだけの出演。

なぜ知らせてもらえなかったのか、言ってくれたら納得したのに…と井ノ原快彦さんは、20年近く経っても気にしていたようでした。

しかしそのあとすぐにトニセンもラジオがスタート

2023年になった今でもラジオが続く長寿番組となっています。

トニセン改名の危機があった?

トニセンの由来から、1度改名の危機がありました

20th Century・・・20世紀

Coming Century・・・21世紀

実はトニセンは“20th Century”の名前の通り20世紀、カミセンは“Coming Century”と書いて21世紀という意味があります。

そう現在は21世紀、いわゆるComing Centuryの時代。

そして20世紀が終わった2001年に事件起こりました

当時放送されていたバラエティ番組『USO!?ジャパン』で改名を求めるやり取りが!

結果的に改名せずに今でも20th Centuryとして活躍していますが、20世紀が由来でなければこんなことはなかったですね…

ちなみに2000年から2001年への年越しライブで「俺たちは改名しません!」と宣言もしていたこともあります。

21世紀になる段階でファンの不安をトニセンが心配して、断言したのでしょうか?

ファン想いな素敵なグループ…今もなお活躍する理由がわかります!

トニセンカミセンのV6グループ内格差がエグい!由来や置き去り事件などエピソード紹介まとめ

どれもパンチのあるV6グループ内格差でしたね。

今思えば年上グループを20世紀、年下グループを21世紀とは…なかなかのネーミングですね。

「20th Century・Coming Century」と聞いた当初は格好いい!と誰もが思ったのに、まさか21世紀になってから改名を要求されるとは思いませんよね。

今ではトニセンのメンバーも笑い話にしていますが、当時は悔しかったことでしょう。

中高生だったカミセンの保護者代わりをしながら、ジャケット写真には小さくしか映してもらえないだなんて不憫ですよね。

現在は音楽特番の大トリまで務めるトニセン。

ライブ活動やアルバムリリースと、若手ジャニーズに負けないくらいアイドルとして活躍してくれています。

もう不憫な年上組とは言わせない!格好いい大人アイドルとして応援しています!

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